【無碍の一道】歎異抄(たんにしょう)第七条を私訳・わかりやすく解説

歎異抄 わかりやすく 念仏 迷信
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本記事は、歎異抄(たんにしょう)の第七条を現代語訳で私訳し、解説したものです。

念仏者は無碍(むげ)の一道なり

という、なんとも堅苦しい一文で始まる第七条w

ヨシボウ

この一行だけを読んで、離脱してしまう方もおられるかも

でも、中身はとてもシンプルです。

結論、お念仏を大事にしてね、というお話。

ぼくなりに、日本人がつい信じてしまう「迷信」と絡めて解説してみました。

ぜひさいごまで読んでみてください🎵

この記事を書いた人
ヨシボウ
  • 浄土真宗本願寺派の現役僧侶
  • ブログ歴3年、5サイトを運営
  • 趣味はブログと読書
  • 最新技術(AI、メタバース)などに関心アリ

@yoshi_bows

目次

歎異抄(たんにしょう)第七条を現代語訳でわかりやすく私訳

歎異抄 わかりやすく 念仏 迷信

ぼくなりの視点と解釈で、親鸞聖人と唯円が会話しているような様子で表現してみました。

誤った理解の指摘やご意見があれば、気軽にコメントをいただけると嬉しいです。

本記事の登場人物
親鸞聖人
  • 浄土真宗の宗祖

  • 法然聖人を師と仰ぐ

  • 1173年5月21日〜1263年1月16日
唯円さん
  • 親鸞聖人のお弟子さん

  • 歎異抄の著者とされる

  • 1222年〜1289年2月27日

念仏をたいせつにしている人は、決して妨げられることのない、一本の道を行く

唯円

念仏をたいせつにしている人は、どんな障壁があろうとも、乗り越えていけるのですか?

親鸞聖人

うむ。
念仏を信じている人は、神々からも尊重されるのだ。
悪魔や念仏を信じない人であっても、邪魔をすることはできない。

唯円

では、念仏を称えている人が、過去に罪を犯していた場合はどうなるのでしょうか?

親鸞聖人

まったく問題はない。
過去の行いによる影響なんてないのだよ。

唯円

ただただ、念仏を大事にしているだけで良いのですね?

親鸞聖人

その通り。
過去を払拭するような、どのような善い行いであっても念仏に勝るものはないのだ。

第八条の原文を現代語訳で書き下し

念仏者は無礙の一道なり。

そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界外道も障礙することなし。

罪悪も業報を感することあたはず。

諸善もおよぶことなきゆへなりと云々。

>>>浄土真宗本願寺派 総合研究所データベースより引用

歎異抄(たんにしょう)第七条を解説

歎異抄 わかりやすく 念仏 迷信

あなたのお家は何宗ですか?

この質問に即答できる方は、実際のところ少ないのではないでしょうか。

日本には様々な宗教や信仰が存在しています。

多くの家庭にお仏壇はあるものの、具体的な宗派を把握していない方も多いはず。

また、神道や仏教、キリスト教など、複数の信仰を持つ方も珍しくありません。

ヨシボウ

一家に二つのお仏壇、というケースもたまにありますよ

これは、日本が「信教の自由」を憲法で保障する国であることに起因しています。

確かに素晴らしい保障ではあるのですが、自由であるがゆえに、いろいろ問題もあったり、、、

その問題をこれから深掘りしていきます。

日本人の信仰の実態

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果たして、日本人は本当に宗教や宗派の教えを深く理解し、信じているのでしょうか?

実際のところ、多くの日本人が信じているのは、公式な宗教の教えではないでしょう。

では、何を信じているのか?

ズバリ、「迷信」です。

信じている、というか”信じてしまう”と表現した方が良いかもですね。

日本人は迷信を信じてしまう

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ぼくもお参り先で、いろんな相談を受けます。

中でも多いのが、迷信に関すること。

ヨシボウ

めちゃくちゃ多いですw

例えば、、、

四十九日が三か月にまたがってはいけないと聞いたのですが、本当ですか?

故人が迷うから、早く納骨しないといけないって聞いたのですが…

友引にお葬式をしてはいけないのですか?

などなどなど。

これらの迷信は、故人を大切に思う気持ちから生まれたものかもしれません。

たしかに大切な人を失った直後は、心が不安定な状態。

ヨシボウ

故人のために何かをしてあげたいという気持ちは、よくわかります

でも、

  • 迷信を聞くから、不安が生まれるのです
  • 迷信を真に受けるから、迷いが生まれるのです
  • 迷信を信じてシンドイ思いをするのはあなたです

万が一、迷信に背いてなにか不幸なことが起こったとしても、迷信を信じなかったあなたが悪いわけではありません。

なぜなら、

迷信によって因果関係は成立しないから

世の中、どんなことでも有り得るんですよ。

歎異抄の第七条から学ぶ:迷信に振り回されない生き方

歎異抄 わかりやすく 念仏 迷信

歎異抄の第七条のキーワードは、

念仏者は無碍の一道なり

非常にわかりにくい一文ですよねw

この言葉をぼくなりに解釈すると、次のようになります。

  • 迷信に振り回される必要はない
  • あなたにはお念仏(信仰)という確かなものがある
  • どんな状況でも、自分の信じる道を大切に生きればよい

迷信にとらわれない人生は、めちゃくちゃラクですよw

誰がなんと言おうと、あなたの思うようにすれば良いのです。

ヨシボウ

もちろん”常識の範囲で”ですよw

具体的にメリットを挙げてみると、

  • 心の自由:不必要な制約や心配から解放される
  • 判断力の向上:物事を合理的に考える習慣が身につく
  • ストレスの軽減:根拠のない不安や恐れが減少する

やや堅苦しいですが、こんな感じ。

どうです?明らかに開放的でしょ?w

第七条で唯円さんが最も伝えたかったのは、

お念仏さえ大事にしていればそれで良い

ということに尽きるでしょう。

歎異抄(たんにしょう)第七条についてのまとめ

歎異抄 わかりやすく 念仏 迷信

私たちの周りには、迷信以外にも様々な情報や意見が飛び交っています。

近所の噂話、親族のアドバイス、メディアやSNSの情報など、これらは時として私たちの判断を惑わせます。

しかし、

歎異抄の教えを心に留めれば、これらに振り回される必要はありません

自分の信じる道、つまり「お念仏」という一本の筋をこころに通すことで、ブレない・迷いのない人生を送ることができるのです。

もちろん、ここでいう「お念仏」は、必ずしも仏教的な意味合いだけではありません。

ヨシボウ

あなた自身の信念や価値観、人生の指針と置き換えてもよいかもですね

大切なのは、外部の影響に惑わされることなく、自分の信じる道を歩み続けることです。

そうすることで、より自由で充実した人生を送ることができるはず。

迷信や周囲の意見に振り回されず、自分の信じる道を歩む。

これこそが、歎異抄第七条から学べる現代的な智慧だと言えるでしょう。​​​​​​​​​​​​​​​​

この記事を書いた人
ヨシボウ
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