【本願ぼこり】歎異抄(たんにしょう)第十三条を私訳・わかりやすく解説

歎異抄 現代語訳 わかりやすく 解説
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歎異抄の第十三条のキーワードは、

本願ぼこり

です。

すべての人を平等に救う“という阿弥陀仏の願いを、誤って理解してしまうことをいいます。

第十三条を理解するには、第三条「悪人正機説」について正しい理解が必要。

ヨシボウ

こちらの記事を読んだあとに、本記事をお読みいただけるとわかりやすいはず。

本記事では、歎異抄の第十三条をわかりやすく現代語訳で私訳してみました。

さらに、現代の具体例を挙げつつ、本願ぼこりについてわかりやすく解説しています。

ぜひ、さいごまでお付き合いください。

それでは、はじめていきましょう🎵

この記事を書いた人
ヨシボウ
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@yoshi_bows

目次

歎異抄(たんにしょう)第十三条をわかりやすく現代語訳で私訳

歎異抄 現代語訳 わかりやすく 解説

ぼくなりの視点と解釈で、わかりやすく現代語訳で私訳しています。

誤った理解の指摘やご意見があれば、気軽にコメントをいただけると嬉しいです。


阿弥陀仏の”全ての人を救いたい”という願いを誤って理解し、悪行を恐れない人たちを、本願ぼこりという。

このような人たちは、往生できないなどと言われているみたいだが、私の考えを述べていこうと思う。

本願ぼこりの人たちは往生できない

このような主張は、結果的に阿弥陀仏の願いを間違って理解している。

善い行いも悪い行いも、自分の意思で起こるものではない。

過去の宿業によるものである。

宿業(しゅくごう)とは?

前世で行った善悪の行為。また、現世に現れるその報い。
(大辞林より)

親鸞さまも、このように仰っていた。

親鸞聖人

ウサギや羊の毛の先に付くチリほどの罪であっても、今の自分が作り出したものではない。
すべて過去の行い、宿業によって生み出されたものなんだよ

また、親鸞さまとこのような会話をしたことがある。

親鸞聖人

唯円よ、お前は私のことばを信じるか?

唯円

もちろんでございます

親鸞聖人

なら、私の言うとおりにするか?

唯円

はい、仰るとおりにします

親鸞聖人

わかった。
では、今から人を1,000人殺してみなさい。
そうすればお前は必ずお浄土へ参ることができるだろう。
と、言ったら、お前はどうする?

唯円

そ、それは、、、
私には1,000人どころか1人の人を殺すことはできません

親鸞聖人

なぜだ?
お前は先ほど、私のことばを信じ、私の言うとおりにすると言ったではないか?

唯円

・・・

親鸞聖人

これでわかったであろう。
自らの意思ですべてが成り立つのであれば、お浄土へ参るために人を1.000人殺すこともあるかもしれない。

それができない、というのは、そなたのこころが善いからではないんだ。
ただ、縁がなかっただけなのだよ。

縁さえあれば、そなたであってもためらいもなく人を殺してしまうことだってある。

こころが清らかであれば、往生しやすく、悪であれば妨げとなる。
そのような判断はしてはならない。

善を成すも悪を成すも、自らの意思ではなく色んな縁によって成り立つのだ。
阿弥陀さまはそれを見越した上で、全ての人を救うと約束されたのだよ。
よくよく覚えておきなさい。

かつて、このことに対して、誤った解釈をするものがいた。

悪者を救うのが阿弥陀仏であるなら、わざと悪いことをした方が、浄土に参りやすいんだ!

この主張は親鸞さまの耳にも届き、お手紙にこのように書かれていた。

薬があるからと言って、わざわざ毒を飲むことはない。
しかし、毒を飲んだものであっても、往生の妨げになることもない。
さらに言えば、仏教の戒律を守らなければ往生できないということでもない。
阿弥陀仏は、全てを見通した上で全ての人を救うと願われたのだから。

わざと悪行を成すことはすべきではないし、そもそも身にそぐわない悪なんて、できるものでもない。

また、親鸞さまはこんなことも仰っていた。

親鸞聖人

魚を獲って生活する人も、野山で鳥を捕らえて暮らす人も、田畑を耕して暮らす人も、みんな同じなんだ。
人はみな、自分の意思と関係なく業(ごう)の力が働けばどんなことでも成してしまうものなのだよ。
業縁がはたらけば、どのような悪行でも成してしまう可能性はあるのだ。

最近では、善人でなければ念仏するべきではない、などという者がいる。

道場にこのような張り紙をして、

〇〇をした者は、この道場に入るべからず

などと、見せかけだけの善を主張する者がいるようだが、それは偽善に他ならない。

何度も言うが、善行を積もうと悪行を成そうと、それは業によって生み出されたものである。

そのことをしっかりと認識したうえで、阿弥陀仏の慈悲におまかせすることが「他力」をよりどころとする生き方なのだ。

聖覚法印の『 唯心抄』にも、このように書かれている。

阿弥陀のちからがどれほど大きなものであるかを知っていれば、自分は罪深いから救われない、などと思うはずがない。

阿弥陀仏の慈悲をこころからありがたいと思えば、自ずと「他力」の信心もさだまるのだ。

自分の悪業や煩悩を、自らの力で取り払うことができる人は、阿弥陀仏の力に頼る必要はないだろう。

なぜなら、自分で仏になることができるのだから。

そのような人たちにとっては、阿弥陀仏が人々を救うために、とてつもなく長いあいだ苦行をされたことや、人々を思う慈悲のこころなど、なんの意味のないことだろう。

「本願ぼこり」を非難する人もまた、よく見れば煩悩にまみれている。

本願を誇りに思おうが思うまいが、阿弥陀仏から見れば似たもの同士なのだ。

だからこそ阿弥陀仏は、分け隔てなく救うと誓われたのである。

そのことをしっかりと理解せずに議論をしていても、何の解決にもならないだろう。

第十三条の原文を現代語訳で書き下し

弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また本願ぼこりとて、往生かなふべからずと いふこと。

この条、本願をうたがふ善悪の宿業を、こころえざるなり。

よきこころおこるも、宿善のもよほすゆへなり。
悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆへなり。 
故聖人のおほせには、「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と、候ひき。

またあるとき、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と、仰せの候ふらひしあひだ、「さん候ふ」と、
まふし候ひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねておほせの候ふらひしあひだ、
つつしんで領状まふして候ひしかば、「たとへば、ひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、おほせ候ひしとき、「おほせにては候へども、一人もこの身の器量にてはころしつべしともおぼへず候ふ」と、まふして候ひしかば、「さてはいかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と。
これにてしるべし。 

なにごとも、こころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。 

しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。
わがこころのよくてころさぬにはあらず。

また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おほせの候ひしかば、われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことを しらざることを、おほせの候ひしなり。

そのかみ邪見におちたるひとあつて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこへ候さひしとき、御消息に、「くすりあればとて毒をこのむべからず」と、あそばされて候ふは、かの邪執をやめんがためなり。

まつたく、悪は往生のさはりたるべしとにはあらず。 

持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきやと。
かかるあさましき身も、本願にあひたてまつりてこそ、げにほこられ候へ。
さればとて、身にそなへさらん悪業は、よもつくられ候はじものを。

また、「海・河に網をひき、釣りをして世をわたるものも、野山にししをかり、鳥をとりていのちをつぐともがらも、あきなゐをし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」と。

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」とこそ、聖人はおほせ候ひしに、当時は後世者ふりしてよからんものばかり念仏まふすべきやうに、あるひは道場にわりぶみをして、なんなんのこと したらんものをば道場へ入るべからずなんどといふこと、ひとへに賢善精進の相を外にしめして、内には 虚仮をいだけるものか。

願にほこりてつくらん罪も、宿業のもよほすゆへなり。

されば、よきこともあしきことも、業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまひらすればこそ、他力にては候へ。

唯信抄にも「弥陀いかばりの力ましますとしりてか、罪業のみなればすくはれがたしとおもふべき」と候うぞかし。
本願にほこるこころのあらんにつけてこそ、他力をたのむ信心も決定しぬべきことにて候へ。

おほよそ悪業煩悩を断じつくしてのち、本願を信ぜんのみぞ願にほこるおもひもなくてよかるべきに、 煩悩を断しなば、すなはち仏になり、仏のためには五劫思惟の願、その詮なくやましまさん。

本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩不浄具足せられてこそ候げなれ。
それは願ほこらるるにあらずや。

いかなる悪を本願ぼこりといふ、いかなる悪かほこらぬにて候べきぞや。
かへりて、こころをさなきことか。

>>>浄土真宗本願寺派 総合研究所データベースより引用

歎異抄(たんにしょう)第十三条を解説

歎異抄 現代語訳 わかりやすく 解説

歎異抄の第三条「悪人正機説」では、

善人でさえ往生できるのだから、悪人であればなおさら往生できる

と説かれました。

この「悪人であればなおさら」という部分だけが切り取られ、

  • 悪いことをした方が救われやすい
  • 悪いことをしたものこそ救われる
  • 悪いことをしないと損だ

などという、ねじ曲がった解釈をされることもありました。

これを「本願ぼこり」というわけです。

いつの時代でも同じ。

現代でも似たような事例はたくさんありますよね。

具体例を挙げつつ、もう少し理解を深めてみましょう。

現代における本願ぼこりな考え方

歎異抄 現代語訳 わかりやすく 解説

エックス(旧ツイッター)やInstagramの普及により、誰もが情報を発信できるようになりました。

目に止まる投稿であれば、多くの方から「いいね」をもらい、より多くの方へと認知されていきます。

つまり、誰もが有名人になれるチャンスがあるということ。

  • もっと影響力がほしい
  • もっと「いいね」がほしい
  • もっと多くの方に知られたい

という欲が先走り、行き過ぎた行動を投稿される方もおられます。

ヨシボウ

最たる例が”おでんツンツンおとこ“ではないでしょうか。

コンビニで販売されているおでんを指でツンツンする

誰が見ても非常識な行動です。

さらに驚くべきは、その様子を動画におさめ、SNSで公開してしまったということ。

常識的な考えでいえば、自ら恥をさらしているようなものです。

目立ちたいという衝動を抑えきれず、ふつうでは考えられないような行動をしてしまったわけですね。

過去の人々の目的が往生であるなら、

悪いことをすれば、なおさら救われやすい→もっと悪いことをしよう

という曲解になります。

現代人の目的が目立ちたい(バズりたい)であるなら、

目立つためなら手段を選ばない→悪いことをして目立とう

というロジックになるわけです。

まさに、現代における「本願ぼこり」な考え方だと思っています。

誰にも批判する権利はない

歎異抄 現代語訳 わかりやすく 解説

多くの方はこの行動を見て、なんて非常識なんだ!と批判するでしょう。

でも、あなたに批判する権利はあるのでしょうか?

さすがにおでんツンツンはやり過ぎ感がありますが、自分では気付かないうちに非常識な行動をしていることだってあるはず。

ヨシボウ

ぼくも思い当たることがあります。。

親鸞聖人も仰っているように、人はきっかけ(縁)さえあれば、人を殺めてしまうことだってあるのです。

それもこれも、私たちが抱えている煩悩のシワザなんですよね。

善だ悪だというのは、一個人の問題ではありません。

煩悩によるものであり、その人が今までに触れてきた縁による問題であるもいうことです。

だからこそ、名指しにそいつは悪人だ!なんて、誰にも言える権利はないのです。

「本願ぼこり」によって生じた誤解は、善悪を正しく理解していないことが原因です。

罪を犯した人も、犯していない人も、阿弥陀仏から見れば同じなんです。

ただ縁がなかっただけに過ぎない。

それだけのことなんですよね。

私たちは、どんなことだってやってしまいかねない、とても危なっかしいこころを持っているんだということを、よくよく理解しておきましょう。

歎異抄(たんにしょう)第十三条についてのまとめ

歎異抄 現代語訳 わかりやすく 解説

「本願ぼこり」について、歎異抄の「悪人正機説」を通して考察してきました。

「悪人であればなおさら往生できる」という教えが「悪いことをした方が救われやすい」と曲解され、時に非常識な行動の言い訳として使われてきた歴史があります。

現代のSNS時代においても、注目を集めるための過激な投稿行為など、同様の歪んだ考え方を見ることができます。

ヨシボウ

しかし、これは親鸞聖人の教えの本質を見誤っていますよね

むしろ「本願ぼこり」という誤解から私たちが学ぶべきは、

誰もが煩悩を持ち、縁によって過ちを犯す可能性があるという自覚

です。

他者の行為を批判する前に、まず自身の心の危うさに向き合うこと。

それこそが、この教えが現代に投げかける重要なメッセージなのではないでしょうか。​​​​​​​​​​​​​​​​

この記事を書いた人
ヨシボウ
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