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【初心者向け】歎異抄とは?親鸞思想をやさしく解説

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ヨシボウ

こんにちは!
ヨシボウです🎵

「歎異抄(たんにしょう)」という言葉、聞いたことはあるけれど、なんだか難しそう…

そう感じていませんか?

でも、もしあなたが日々の生活でふと立ち止まったり、心に何かを探していたりするなら、この『歎異抄』はあなたのための道しるべになるかもしれません。

本記事では、『歎異抄』がどんな書物で、そこに息づく親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えがどんなものなのか、仏教に初めて触れる方にも「なるほど!」と分かりやすく、ポイントを絞って解説します。

この記事を読み終える頃には、『歎異抄』がぐっと身近になり、親鸞聖人の言葉があなたの心をそっと照らすはずです。

この記事を書いた人
ヨシボウ
  • 浄土真宗本願寺派の現役僧侶
  • ブログ歴3年、5サイトを運営
  • 趣味はブログと読書と朝活
  • マインドフルネススペシャリスト資格所持

@yoshi_bows

目次

『歎異抄』ってどんな本?~その核心に迫る~

まず、『歎異抄』の基本的なところから見ていきましょう。

いつ、誰が、どんな思いで書いたのか、そしてなぜ多くの人を惹きつけるのか、その魅力の核心に迫ります。

『歎異抄』はいつ、誰が書いたの

鎌倉時代後期に、親鸞聖人の直弟子とされる唯円(ゆいえん)が、師亡き後の教えの混乱を憂い、正しい教えを伝えようと書き記したと言われています。

なぜ「歎異抄」という名前なの?

「異」なる説を「歎(なげ)」き、親鸞聖人の真実の言葉を「抄」録した、という意味が込められています。

師の教えが歪められることへの強い危機感がうかがえますね。

『歎異抄』の魅力とは?

  • 親鸞聖人の「生の声」:まるで親鸞聖人が直接語りかけてくるような、生き生きとした言葉で満ちています。
  • 人間の弱さへの共感:私たちのありのままの姿を否定せず、**「そのままでいい」**と包み込む温かさがあります。
  • 普遍的なメッセージ:宗派を超え、時代を超えて、多くの人々の心に響き、生きる指針となってきました。

『歎異抄』は、単なる古典ではなく、今を生きる私たちの心にも深く響く、普遍的な知恵の宝庫なのです。

親鸞聖人ってどんな人?~教えの源泉をたどる~

『歎異抄』を理解するには、その教えの源である親鸞聖人(1173年~1262年)について知ることが不可欠です。

親鸞聖人の歩み(ダイジェスト)

親鸞聖人
  • 求道の始まり:9歳で出家し比叡山で20年間修行するも、心の平安は得られず。
  • 法然上人との出会い
    29歳の時、師となる法然上人と出会い、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで誰もが救われるという「専修念仏」の教えに帰依。
  • 流罪と結婚
    念仏弾圧により越後(新潟県)へ流罪。この時期に結婚し、家庭を持たれます。
    これは当時の仏教界では画期的なことでした。
  • 民衆の中へ
    流罪が解かれた後も関東で約20年間、庶民と共に生き、教えを広めます。
  • 晩年
    京都に戻り、多くの著作を残し、90歳で生涯を閉じます。

親鸞聖人の生涯は、苦難と求道の連続でしたが、常に民衆に寄り添い、阿弥陀仏の救いを伝え続けました。

親鸞聖人が伝えたかった核心

親鸞聖人が生涯をかけて伝えたかったのは、

どんな人間も、阿弥陀佛の本願力によって必ず救われる

という、絶対的な他力の教えです。

人間は自分の力(自力)ではどうにもならない煩悩を抱えた存在だからこそ、阿弥陀仏という仏さまの「すべての人を必ず救う」という誓い(本願)力(他力)によってのみ救われる、と説きました。

そして、その救いは無条件であると強調したのです。

『歎異抄』に学ぶ親鸞思想のキホン3選

では、『歎異抄』に記された親鸞思想の最も大切なポイントを3つに絞って解説します。

  • 阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)~すべてを救う仏の誓い~
  • 「悪人正機(あくにんしょうき)」の衝撃~なぜ「悪人」が救われるのか?~
  • 「他力(たりき)」の真髄~大きな力に身をまかせる生き方~

それぞれ、見ていきましょう。

❶阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)~すべてを救う仏の誓い~

阿弥陀仏とは、私たちを救うために「必ず衆生を救う」という多くの誓い(本願)を立て、それを成就して仏となられたお方です。

とくに重要なのは、

「私を信じ、私の名を称えるもの(南無阿弥陀仏と念仏する者)は、どのようなものであっても必ず救い、浄土へ生まれさせる」

という誓願(第十八願)です。

この阿弥陀仏の誓いの力が「本願力」であり、親鸞思想の根幹。

難しい修行や立派な善行ができなくても、ただ「南無阿弥陀仏」と称え、阿弥陀仏の救いを信じるだけでよい。

これが親鸞聖人が示した救いの道です。

❷「悪人正機(あくにんしょうき)」の衝撃~なぜ「悪人」が救われるのか?~

悪人こそが救われる

というこの言葉は、『歎異抄』で最も有名かつ誤解されやすい言葉です。

「悪いことを推奨する?」というわけではありません。

親鸞聖人の言う「悪人」とは、自分ではどうにもできない煩悩を抱え、罪を犯さずには生きられない私たち人間のことを指します。

「自分は救われがたい悪人である」という自覚こそが、阿弥陀仏の救いの対象となる上で最も大切だと説くわけです。

なぜなら、、、

自分を「善人」と思い込んでいる人は、仏の無条件の救いを素直に受け入れにくいからです。

「善人でさえ救われるのだから、ましてや(自らの罪を自覚する)悪人が救われないはずがない」というのが、この言葉の真意。

自分の弱さや罪深さを知る者こそ、阿弥陀仏の慈悲がまっすぐに届くという、力強いメッセージなのです。

❸「他力(たりき)」の真髄~大きな力に身をまかせる生き方~

「他力本願」は、現代では「他人任せ」のように使われがちですが、仏教でいう「他力」は全く違います。 

  • 自力(じりき):自分の力で悟りを開こうとすること。
  • 他力(たりき):阿弥陀仏の本願力という、自分を超えた大きな力。

親鸞聖人は、煩悩に満ちた人間は「自力」では救われないと考えました。

だからこそ、阿弥陀仏の広大で絶対的な力である「他力」にすべてをゆだね、ただ念仏し、その救いを信じること(信心)で救われると説いたのです。

これは無責任な丸投げではなく、自分の限界を知った上で、大いなる仏の力に全てを委ねる積極的な信頼のあり方です。

なぜ今、『歎異抄』なのか?~現代へのメッセージ~

700年以上前の『歎異抄』が、なぜ今も私たちの心を打つのでしょうか?

それは、現代社会が抱える問題と、そこに生きる私たちの心に深く響くメッセージがあるからです。

ストレス社会と「あるがまま」の肯定

競争や成果主義に疲れた現代人に、『歎異抄』は「できない自分」「弱い自分」をそのまま受け入れる「あるがままの救い」を語りかけます。

どんな自分でも見捨てられないという安心感は、大きな支えとなるでしょう。

不確実な時代と「絶対の拠り所」

変化が激しく、何が正しいか見えにくい現代。

阿弥陀仏の本願という「絶対の拠り所」は、人生の羅針盤となり、根源的な安心を与えてくれます。

多様化する社会と「包容力」

あらゆる人を分け隔てなく受け入れる阿弥陀仏の慈悲は、現代の多様性を尊重する考え方にも通じます。

他者を排除せず、共に生きる道を示唆しています。

『歎異抄』への第一歩~初心者のためのヒント~

「少し興味が湧いたけど、どう読めば…?」という方へ、簡単なヒントを。

以下のことを心がけてみると良いですよ🎵

まずは現代語訳から

原文は古文で難解なので、読みやすい現代語訳や入門書を選びましょう。

漫画や図解もおすすめです。 

Amazonの電子書籍「Kindle」でもたくさんの関連書籍がありますよ。

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心に残る言葉を大切に

一度で全てを理解しようとせず、読んでいて「ハッ」とした言葉、心に響いた一節をまず味わってみてください。

中には「えっ!?」と思うような衝撃を受ける言葉も出てきます。

じっくりと、何度も読み返してみてくださいね。

誰かと語り合うのも良い

読書会や法話会に参加したり、信頼できる人に感想を話したりするのも、学びを深める良い機会になります。

よろしければ、本サイトにコメントをお送りください。

疑問や感想など、あなたの思いをお聞かせくださいませ。

おわりに:『歎異抄』はあなたの心の灯火

『歎異抄』は、人間の根本的な苦悩と救済をテーマにした、古びることのない書物です。

親鸞聖人の言葉に触れることで、あなたの心にもきっと新しい光が差し込むはずです。

難しく考えず、まずは手に取って、親鸞聖人のメッセージに耳を傾けてみてください。

この解説が、あなたと『歎異抄』との素敵な出会いのきっかけになれば、ぼくはとても嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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