- 浄土真宗の葬儀の意味を知りたい
- 遺族はどのような気持ちで勤めればよいのか知りたい
こんにちは!
ヨシボウです🎵
肉親や親しくしていた方を亡くすことは、とても辛いことですよね。
年齢を重ねるにつれ、その機会は増えるばかり。
葬儀に参列し、ご遺影に向かって手を合わせていると、
いつか私も。。。
なんて、なんとも言えない気持ちになるものです。
一般的に葬儀というのは、
- 故人の供養のため
- 故人の冥福を祈るため
などを目的として執り行われますよね。
ぼくが属している浄土真宗は、日本でもトップクラスにご門徒(信者)が多い宗派です。
だから一般的な目的で葬儀を勤めるのか?というと、そうでもないのですよね。。。
浄土真宗の葬儀には、一般的な葬儀とは異なる以下の3つの重要な特徴があります。
ええぇぇ〜!?
ほとんどの方が驚かれるとは思いますが、事実なんですよね。
決して悲しみを否定するわけではありません
本記事では、この3つのポイントを解説し、浄土真宗にとっての葬儀の意味をわかりやすく解説します。
ぜひ、さいごまでお付き合いくださいね。
- 浄土真宗本願寺派の現役僧侶
- ブログ歴3年、5サイトを運営
- 趣味はブログと読書
- 最新技術(AI、メタバース)などに関心アリ
①葬儀は、故人のために勤めるものではない
浄土真宗の葬儀は、故人のためではなく、遺された私たち自身のための儀式です。
これは、浄土真宗の根本的な教えに基づく重要な特徴です。
浄土真宗では、
人は亡くなった瞬間に阿弥陀如来の浄土に往生する
と考えます。
「往生」は、阿弥陀さまのおはたらき(本願力)によって必ず実現するものです。
よって、私たちの行為・行動によって左右されるものではありません。
つまり、葬儀を通じて故人を供養したり、故人を成仏させる必要がないということになります。
浄土真宗の葬儀で、あなたが考えるべき3つのこと
故人のためではなく、自分自身のための葬儀なら、一体どんなことを考えればいいのだろう?
このような疑問を持たれる方が多いでしょう。
具体的な捉え方をお伝えしていきますね。
1.命の尊さを実感する機会として
- 故人の生きざまを偲び、その人の人生から学ぶ
- 一緒に過ごした時間の意味を考える
- 自分自身の残された時間について思いを巡らせる
3つ目は特に重要。
人の命は有限であるということは、紛れもない事実です。
これについては、誰しもが理解していること。
そして、私たちはそのことを”良い意味で”忘れながら生きています。
忘れているからこそ、生きていけるんだと思うんですよね
大事な方を亡くして、改めて命の限り知ることができます。
葬儀のご縁に会うことは、
限りある命なんだから、一生懸命に生きるんだよ
という、故人からの「たいせつなメッセージを受け取る場所」と考えるとわかりやすいです。
2.自身の生き方を振り返る時間として
- 故人から教えられたことを思い出す
- 自分の現在の生活を見つめ直す
- これからの人生をどう生きるか考える
前述した内容と重なりますが、ゆかりのある方の葬儀を通して、自分の生き方について振り返ることも重要。
人生というのは「いま」が積み重なったものです。
過去も未来も、全て「現在(いま)」によって成り立つもの。
だからこそ「いま」が大事なんですよ
人間というのは面倒臭がりな生き物。
今できることであっても、後回しにしてしまったり、明日があるという前提で物ごとを考えてしまうものです。
明日の命は、誰も保証してくれません。
故人との関わりが深ければ深いほど、大きな気づきとなるでしょう。
いまを大切に生きる、理解していても、なかなかできることではありません。
だからこそ、葬儀のご縁で自身を振り返ることがとても大切なんです。
3. 阿弥陀如来の救いを確認する場として
- お経を通じて本願の教えに触れる
- 法話を聞いて救いの確かさを実感する
- 参列者と共に仏様の恩徵を味わう
少し堅苦しい感じになってしまいますが、ご容赦くださいw
浄土真宗のお経には、
- 故人を救う
- 故人の供養をする
などといった意味をあらわす言葉は一切出てきません。
なぜかというと、
浄土真宗のお経は、いま生きている私たちに向けられたものであるからです。
阿弥陀さまの救いの対象は衆生(全ての人)であることは間違いありません。
しかし、その対象はあくまでも「あなた一人」です。
一人称単数であるということは、決して忘れてはならないのです。
あなた(私)が集まって、振り返ってみるとみんな「衆生」が救われていた、と考えると良いですね
そのことを最も深く味わうことができるのが「葬儀」というご縁となります。
このように考えると、浄土真宗にとっての葬儀は、故人のためではなく、故人から頂いた尊いご縁であると考えることができるでしょう。
②故人の冥福を祈らない
心からご冥福をお祈りします
お悔やみのことばとして、ご弔電の最後でもよく耳にしますよね。
冥福の意味は以下のとおりです。
「冥」は死後の世界、光がなく暗いという意味で使われ、「福」は幸福をあらわす。
よって冥福とは、故人の死後の幸せを意味する。(大辞林参照)
確かに、亡くなられた方に対して思いやりのあることばです。
多くの方が何の疑いもなく使われているでしょう。
しかし、浄土真宗では、故人の冥福を祈る必要はありません。
なぜなら、
必ず光り輝くお浄土に生まれることが決まっているからです。
もう少し掘り下げて解説します。
救いはすでに実現している
なぜお浄土に生まれることが決まっているのか?
それは、
阿弥陀如来が願われているから
阿弥陀如来の願いのなかでもっとも重要なものを「本願」と言います。
私にまかせておくれ。
必ずあなたを浄土に連れて行くことを約束する。
本願が実現しないことは、絶対にありません。
阿弥陀さまが嘘をつくはずがないですw
故人を冥土ではなく浄土に連れて行くことは、阿弥陀如来しか不可能。
むしろ、私たちが故人を救おうと思うこと自体が、阿弥陀如来の本願を疑うことにもなってしまうのです。
人間の力ではどうしようもない
故人を思い、なんとか成仏させてあげたいという気持ちはとてもよくわかります。
でも、実際そんなことはできないんですよ。
僧侶の読経でも成仏させることはできません
私たちを仏と成らせることができるのは、阿弥陀如来のみ。
自分の力(自力)ではなく、阿弥陀如来の力(他力)におまかせするしかないのです。
感謝の気持ちで手を合わせる
ここまでお読み頂いた方の中で、
冥福を祈る必要がないのであれば、どんな気持ちで葬儀に参列すれば良いのだろう?
と、疑問に思われる方もおられるのではないでしょうか。
浄土真宗の葬儀で、もっともたいせつなことは、感謝です。
葬儀だけではなく、満中陰や初盆など、すべての法事で言えることですね
お焼香をするにしても、
どうぞ安らかにお眠りください
という気持ちで手を合わせるのではなく、
今までありがとうございました
と、感謝の気持ちで手を合わせることが望ましいです。
深い悲しみの中には、必ず感謝・喜びが共存します。
そのことに気づき、家族や近しい方と思いを分かち合うことこそが、浄土真宗の葬儀の真意となるでしょう。
③別れを告げる儀式ではない
浄土真宗では「告別式」という言い方はしません。
葬儀式というのが正しい呼び方です
なぜなら、阿弥陀如来のおはたらきによって必ず浄土に生まれることができ、いつかは浄土で再会できるからです。
つまり、
さよなうらを告げるのではなく、再会を約束する儀式
と、受け止めることが大切です。
もう少し詳しくみていきましょう。
「さようなら」ではない、深い意味
浄土真宗の葬儀には、他の仏教宗派とは異なる深い意味が込められています。
それは、浄土で必ず再会できるという確信に基づいているのです。
その再会は、もう二度と別れることのない、永遠の出会いとなります。
だからこそ、今この時の別れは、再会までの一時的なものにすぎないんですよ
故人は、姿が見えなくなっても、常に私たちを見守り続けています。
死は「関係の終わり」ではなく、「新しい関係の始まり」。
故人からいただいた思い出や教えは、私たちの中で生き続けるのですよ。
希望に満ちた儀式としての意味
浄土真宗の葬儀では、悲しみを抱きながらも、それ以上に大切な感謝の気持ちを表現します。
- 故人との出会いへの感謝
- 共に過ごした時間への感謝
- 様々な教えを伝えてくれたことへの感謝
などなど。
あなたにしか感じることのできない感謝もたくさんあるでしょう。
これらの感謝の気持ちは、救いの確信による喜びと共に分かち合われます。
必ず再会できるという約束がもたらす安心感は、参列者の心に深い慰めをもたらします。
それは単なる慰めではなく、浄土での再会という具体的な希望であり、変わることのない絆の証なのです。
日々の暮らしで考えるべきこと
「再会の約束」は、私たちの日常生活に大きな影響を与えます。
故人を「もういない人」とは考えず、常に共に生きている存在として受け止めることで、日々の生活の中で故人との絆を感じ続けることができます。
悲しみを感じることは自然なことです。
浄土真宗は決して悲しみを否定しません。
必ず再会できるという希望が、深い悲しみをそっと包み込んでくれるんですよ
故人は私たちの生きる勇気となり、再会を約束された者としての自覚が、私たちの人生に新たな意味を与えてくれます。
故人の願いを胸に刻みながら、今この瞬間を精一杯生きることが、最も大切な追悼の形となるのです。
以上のように考えると、悲しみだけの葬儀にはなりません。
あなたが生きていく上で、とてつもなく大きな気づきを与えてくれるはずです。
浄土真宗の葬儀に関するよくある質問まとめ
多くの方が疑問に思われているであろうことをまとめてみました。
ぜひ、参考にしてくださいね。
浄土真宗の戒名(法名)料はいくらですか?
まず、浄土真宗では戒名という言い方はせず、法名と呼びます。
戒律がなく、仏法をいのちのよりどころとして生きる証としていただくお名前です。
本来は、生前にいただくものです。
が、ほとんどの方は、葬儀の際に頂かれます。
西本願寺では帰敬式(ききょうしき)という儀式を受けて法名をいただくことができます。
その際の費用は、成人10,000円/未成年5,000円です。(真宗大谷派は年齢問わず10,000円)
葬儀の際には法名料もまとめていただくことも多く、実質無料と捉えても大丈夫なくらいです。
詳しくはこちらのページをご覧になってください。
お焼香の作法は?
いずれの宗派も、額に押しいただく作法はありません。
香を摘んだら、そのまま香炉に移します。
本願寺派の場合は1回、真宗大谷派の場合は2回の作法です。
浄土真宗は御霊前とは言わないのですか?
はい、御霊前という言葉は使いません。
なぜなら、故人は霊になることなく、即仏さまとなられているからです。
浄土真宗では御霊前ではなく御仏前と表記します。
満中陰(四十九日)法要の前後に関わることもありません
お供えする相手方の宗派がわからない場合は、ご香典と表記すれば間違いありません。
位牌は作るべきですか?
位牌を作る必要はありません。
満中陰(四十九日)法要までは白木の位牌を御安置します。
他宗であれば、以降は黒塗りの位牌を御安置しますが、浄土真宗では必要ありません。
代わりに過去帳(法名帳)に故人の法名や命日などを記載して御安置します。
まとめ:再会は100%実現します
以上、浄土真宗の葬儀の意味を3つのポイントに分けて解説してみました。
もう一度まとめておくと、以下の3点です。
何度もお伝えしていますが、決して悲しみを否定するものではありません。
大切な人との死別の悲しみは自然なことであり、むしろ必要な感情です。
その悲しみの中にあっても、私たちには確かな救いがある
それが浄土真宗の教えであり、葬儀の本質的な意味なのです。
浄土真宗の葬儀についての理解を深めることは、私たち一人一人が「いのち」や「生きる意味」について考えを深める素晴らしい機会となります。
「必ず再会できる」というのは、単なる慰めではありません。
阿弥陀如来の”絶対の約束”ですから、疑いなく素直に聞き入れるのがいちばんです。
生きていれば、いつか必ず葬儀のご縁は訪れます。
そのときに、本記事の内容を思い出し、読み返していただけると幸いです。
さいごまでお読みいただき、ありがとうございました。
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