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【和面不同】歎異抄(たんにしょう)第十二条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄第十二条は、第十一条と似たする内容です。当時広がりつつあった浄土真宗の念仏の教えは、非難も多く、対立・言い争いもあったようです。「なぜ争う必要があるんだ?」と唯円の憤り、歎きが赤裸々に語られています。本記事で現代語訳で私訳し解説します。 -
浄土真宗の葬儀の意味を3つのポイントでわかりやすく解説
浄土真宗の葬儀は、故人の成仏を祈るために勤めるものではありません。本記事では浄土真宗の葬儀の意味を「故人のためではない」「故人の冥福を祈らない」「別れを告げる場ではない」という3つのポイントでわかりやすく解説します。葬儀に関するよくある質問もまとめたのでぜひ参考にしてください。 -
【東西分裂】浄土真宗が本願寺派と大谷派に分かれた理由をわかりやすく解説
日本で非常に大きな宗教団体である浄土真宗。今や世界中に親鸞聖人の念仏の教えは拡まっています。戦国時代に浄土真宗は本願寺派と真宗大谷派の二つの教団に分裂。その背景には、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という名だたる戦国大名が関連していたのです。本記事でわかりやすく解説します。 -
【方便法身】歎異抄(たんにしょう)第十一条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄第十一条は、第一条と呼応する内容です。「阿弥陀如来の誓いと念仏のはたらきと、お前はどちらを信じている?」読み書きのできない方に対する脅すような質問。込み上げる怒りを抑えながら、唯円はどのように反論するのか?本記事で解説します。 -
【唯円の表明】歎異抄(たんにしょう)第十条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄の第十条からは、唯円が世に出回ってしまった誤った見解を批判する内容となっています。「念仏は無義をもって義とす」という親鸞聖人のことばを冒頭に取り上げ、これから綴る思いを表明する内容です。本記事でわかりやすく解説していきます。 -
【唯円の告白】歎異抄(たんにしょう)第九条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄の第九条は、なんとも人間味のあるお話です。念仏を喜べない、早く浄土に参りたいとも思わないとも思わない自分。唯円は意を決してこの悩みを親鸞聖人に打ち明けます。親鸞聖人のお答えはいかに?本記事でわかりやすく私訳・解説します。 -
【他力の念仏】歎異抄(たんにしょう)第八条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄(たんにしょう)の第八条は、浄土真宗にとっての念仏の味わい方が説かれています。念仏は、自分の修行のためでも自分の行いでもなく、阿弥陀さまから頂いたものであるというのが親鸞聖人のお考えです。本記事で私訳を交えてわかりやすく解説します。 -
【無碍の一道】歎異抄(たんにしょう)第七条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄の第七条は、念仏の重要性が説かれています。非常に短いですが、内容は濃い。念仏さえ称えていれば、たとえ日本人がつい信じてしまう迷信であろうと、妨げになることはありません。本記事では、迷信と絡めて第七条を解説してみました。 -
【本当の信心】歎異抄(たんにしょう)第六条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄(たんにしょう)の第六条は信心のお話です。「私は信心深くない」なんてよく使いますが、本当のところ信心に浅いも深いもないのです。なぜなら阿弥陀さまからいただくものだから。親鸞聖人の仰る本当の信心について、わかりやすく解説します。 -
【両親の供養】歎異抄(たんにしょう)第五条を私訳・わかりやすく解説
歎異抄(たんにしょう)の第五条は供養のお話です。お葬儀やご法事など、わりと連想しやすいキーワードですよね。しかし第五条の内容はとてもショッキングに感じる方も多いはず。念仏は供養のために称えるわけではないのです。本記事で詳しくその真相を解説します。