本記事は、歎異抄(たんにしょう)の第二条を現代語訳で私訳し、解説したものです。
第二条では、親鸞聖人の師匠である法然聖人に対する絶対的な信頼が描かれています。
ぼくなりの視点と解釈で、親鸞聖人と唯円が会話しているような様子で表現してみました。
歎異抄をこれから学びたい方にとって、非常に有益な内容となっています。
ぜひ、参考にしてみてください
それでは、始めていきましょう🎵
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歎異抄(たんにしょう)第二条を現代語訳でわかりやすく私訳
ぼくなりの視点と考え方で、第二条を会話形式でかつ現代語訳で私訳してみました。
誤った理解の指摘やご意見があれば、気軽のコメントをいただけると嬉しいです。
- 浄土真宗の宗祖
- 法然聖人を師と仰ぐ
- 1173年5月21日〜1263年1月16日
- 親鸞聖人のお弟子さん
- 歎異抄の著者とされる
- 1222年〜1289年2月27日
関東の方から弟子たちが命がけで親鸞さまを訪ねてこられますが、どのような理由がおありなのでしょうか?
お念仏以外の極楽往生の教えを知りたいようだ。
お念仏以外?他にもお浄土に参らせていただける方法があるのですか?
もし、他の方法を知りたいのであれば、奈良や比叡山の学者たちに聞くべきであろう。
私は、ただ念仏を称えて、阿弥陀さまに助けていただくという教えを信じているだけなんだ。
でも、お念仏だけで本当にお浄土に参れるのでしょうか?
はっきり言って、わからない。
ただ、
法然聖人の教えを信じて念仏を称え、もし地獄に落ちたとしても後悔はしない。
なんと!
後悔しないのですか?
なぜなら、お念仏以外のどんな修行をしても救われない、煩悩にまみれた自分であることを、私はよく知っている。
だから、地獄行きは私にとっての定めとして覚悟をしてきたんだ。
親鸞さま、その”覚悟”を裏付ける信心は、どのようにしていただかれたのでしょう?
阿弥陀さまの本願が真実なら、お釈迦さまの教えも、善導大師の解釈も、法然聖人の教えも真実であるはず。
確かに仰るとおりです
そして、法然聖人の教えを疑いなく信じてきた、私の言葉も真実であると思ってもらえるのではないだろうか?
疑いようがございません
これが私の信心の全てだ。
あとは、自分で考え、自分が進むべき道を歩むとよいだろう。
第二条の原文を現代語訳で書き下し
おのおのの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、
ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。
しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。
もししからは、南都北嶺にもゆゆしき学生たちおほく座せられて候なれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひと(法然)のおほせをかぶりて 信ずるほかに別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、 総じてもて存知せざるなり。
たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりともさらに後悔すべからず候ふ。
そのゆへは、自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、 すかされたてまつりてといふ後悔も候ばめ。
いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。
仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもてむなしかるべからず候か。
詮ずるところ、愚身の信心におきては、かくのごとし。
このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも面々の御はからひなりと云々。
歎異抄(たんにしょう)第二条のポイント
「法然聖人の教えを信じて念仏を称え、もし地獄に落ちたとしても後悔はしない。」
強烈なフレーズが印象に残る第二条ですが、親鸞聖人の法然聖人に対する絶対的な信頼がうかがえますね。
まずは、親鸞聖人と法然聖人との関係について見ていきましょう。
親鸞聖人が法然聖人を師事した3つの理由
親鸞聖人は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した浄土真宗の開祖。
一方、法然聖人は、親鸞聖人の先輩にあたる浄土宗の開祖です。
親鸞聖人が法然聖人を師事した理由は、次のような3つの大きなポイントがあります。
- 法然聖人の教えが自身の課題を解決してくれたこと
- 法然聖人が示された平等の救いに共感できたこと
- 法然聖人の人格と生き方に感銘を受けたこと
それぞれ解説します。
①法然聖人の教えが自身の課題を解決してくれたこと
親鸞聖人は幼少期から仏教に精通していました。
しかし、仏教を学んでいくうちに、自分の心の汚れや弱さを知り、
私には仏になる資質がないのではないか?
と、思い始めます。
そんな中、法然聖人の教えに出会った親鸞聖人は、自分の課題を解決する糸口を見出すことができたのです。
法然聖人は、お念仏を称えることで誰もが救われると教えていました。
専修念仏(せんじゅねんぶつ)と言われています
この教えは、親鸞聖人にとって、まさに心の奥底から共感できるものでした。
自分の弱さを受け入れ、ただ念仏に帰依することで、誰もが救われるという思想に、親鸞聖人は強く惹かれたのです。
②法然聖人が示された平等の救いに共感できたこと
法然聖人のお念仏の教えは、当時の仏教界にあった階級差を超えて、誰もが平等に救われる可能性を秘めていました。
従来の仏教では、修行の程度によって救われる人と救われない人が分かれていたのです。
しかし、法然聖人のお念仏の教えは、
お念仏を称えるだけで、みな平等に救われる
という、わけへだてのないものでした。
親鸞聖人は「誰もが救われるお念仏の教え」に強く共感したのです。
③法然聖人の人格と生き方に感銘を受けたこと
法然聖人の人格と生き方にも、親鸞聖人は深い感銘を受けていました。
法然聖人は、自らの身分や立場にかかわらず、誰もが救われるべきだと考え、生涯を通してお念仏の教えを説かれていました。
お念仏をひとすじ生き抜かれた姿勢に、親鸞聖人は深く共感したのです。
このように、法然聖人の教えが親鸞聖人の課題を解決し、誰もが救われるお念仏の教えを説かれたこと。
そして、法然聖人の人格と生き方に感銘を受けたことが、親鸞聖人が法然聖人を強く師事した大きな理由だったと言えるでしょう。
「法然聖人の教えを信じて念仏を称え、もし地獄に落ちたとしても後悔はしない。」
このことばの重さが、法然聖人に対する絶対的な信頼の強さに直結していると感じてます。
弟子たちが遠路はるばる親鸞聖人を訪ねてきた理由は?
「お念仏以外の極楽往生の道を知りたい」と関東からはるばる訪れた弟子たち。
時代は鎌倉、移動手段はもちろん「徒歩」。
命がけで何日もかけて歩くのですから、想像を絶する苦労だったでしょうね。
ここまで必死になるには、それなりの理由があるのです。
関東で活動していた親鸞聖人の息子である善鸞が、
私は父から特別な教えを授けられてる
と、ウソの情報を流していたのだそう。
それを信じた弟子たちが”私も知りたい”と、親鸞聖人の元を訪れたようです。
この問題がきっかけとなり、親鸞聖人は善鸞と(義絶)親子の縁をきることになりました。
この一連の流れは「善鸞事件」と呼ばれています
弟子たちにとっても、たったの六文字「南無阿弥陀仏」と称えるだけで救われる、というのは信じがたいものがあったのでしょう。
善鸞が弟子たちの疑いを利用し、名を馳せようとしたことは、親鸞聖人にとって悲しく、とても情けなく思われたことでしょうね。
歎異抄(たんにしょう)第二条についてのまとめ
以上、歎異抄の第二条を会話形式で私訳し、要点を解説してみました。
さいごに第二条についてまとめると、
- 法然聖人への絶対的信頼
- お念仏ひとすじの信心
この2点が第二条で描かれているポイントとなるでしょう。
親鸞聖人と法然聖人。
二人の天才が同じ時代に生まれ、出逢われたことが奇跡です。
歎異抄を通して、未来永劫にわたって、語り継がれる師弟物語となるでしょう。
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