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歎異抄の「歎異」とは?タイトルの意味から読み解く親鸞思想

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ヨシボウ

こんにちは!
ヨシボウです

この『歎異抄』は、「東洋の聖書」とも呼ばれる浄土真宗の重要な書物です。

しかし、そのタイトルに含まれる「歎異」という言葉に、疑問を持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は、この「歎異」という言葉の意味を深く掘り下げ、そこから親鸞聖人の思想を読み解いていこうと思います。

難しい話に聞こえるかもしれませんが、ご安心ください。

初心者さんでも分かりやすいように、ぼくなりの言葉でていねいに解説していきます。

きっと読み終えるころには、「歎異」が意味する奥深さに触れ、親鸞聖人の教えがより身近に感じられることでしょう。

ぜひ、さいごまでお付き合いくださいね。

この記事を書いた人
ヨシボウ
  • 浄土真宗本願寺派の現役僧侶
  • ブログ歴3年、5サイトを運営
  • 趣味はブログと読書と朝活
  • マインドフルネススペシャリスト資格所持

@yoshi_bows

目次

『歎異抄』の著者、唯円の「歎き」

『歎異抄』という書物は、親鸞聖人のお弟子であった唯円(ゆいえん)によって書かれました。

親鸞聖人ご自身が書かれたものではないのです。

では、なぜ唯円はこの書物を書いたのでしょうか?

その答えこそが、タイトルに含まれる「歎異」という言葉に隠されています。

「歎異」とは、「異(ことな)ることを歎(なげ)く」という意味です。

一体、何が異なっていたのか?

それは、親鸞聖人が直接説かれた教えと、その当時、世の中に広まっていた親鸞聖人の教えの解釈との間に、大きな隔たりがあったことを指します 。

唯円は、この「異なり」を深く悲しんだのです。

『歎異抄』の序文には、唯円のその強い思いが記されています。

窃かに愚案を廻らし、粗く古今を勘うるに、先師口伝の真信に異を歎き、後学相続の疑惑を思う。

訳してみると、、、

よくよく考えてみると、親鸞さまから直接教わった本当の教えと、今の解釈にはかなり違いがある。
このままだと、これから仏教を学ぶ人たちが、疑問を抱いてしまうのではないかと心配になる。

唯円は、親鸞聖人亡き後、その教えが正しく伝わらないことに危機感を抱いていました。

自分の師である親鸞聖人の教えが、誤った形で人々に伝わってしまうことを何よりも恐れたのです。

この「歎異」という言葉には、唯円の親鸞聖人に対する絶対的な信頼と、教えを正しく後世に伝えたいという切なる願いが込められているのです。

親鸞聖人の教えの本質「他力本願」

では、唯円が「異なっている」と歎いた、親鸞聖人の教えの本質とは何だったのでしょうか。

それは、「他力本願(たりきほんがん)」という言葉に集約されます。

「他力」とは、阿弥陀如来という仏さまのはかり知れない力のことです。

そして「本願」とは、その阿弥陀如来が私たち衆生(生きとし生けるものすべて)を必ず救いとるという誓いのこと 。

つまり、他力本願とは、「自分の力ではなく、阿弥陀さまの力によって救われる」という教えなのです。

これは、当時の仏教の主流であった「自力(じりき)」の教えとは大きく異なるものでした。

「自力」とは、修行や善い行いを積むことによって、自分の力で悟りを開き、救われようとする考え方です。

しかし、親鸞聖人は、煩悩(ぼんのう)を抱えた私たち人間には、自分の力で悟りを開くことは不可能であると説かれたのです。

親鸞聖人ご自身も、比叡山での厳しい修行を重ねられましたが、「私には仏になる資質がないのではないか」という深い苦悩を抱かれていました 。

そんな中で出会われたのが、法然聖人の説かれた「お念仏」の教えでした。

法然聖人

法然聖人は、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称えるだけで、老若男女、善悪、身分に関わらず、誰もが平等に救われると説かれたのです 。

この教えは、親鸞聖人にとってまさに心の奥底から共感できるものでした。

自分の弱さや愚かさを受け入れ、ただ阿弥陀さまの慈悲に身をゆだねる。

これこそが、親鸞聖人が伝えようとされた他力本願の教えなのです。

唯円が歎いた「異義」の具体例

唯円が歎いた「異義」は、具体的にどのようなものだったのでしょうか。

唯円は『歎異抄』の中で、親鸞聖人の教えが誤って解釈されている様々な事例を挙げています。

その中でも特に重要なものをいくつかご紹介しましょう。

1. 「悪人正機」の誤解

親鸞聖人の教えの中で、最も有名であり、最も誤解されやすいのが「悪人正機(あくにんしょうき)」という言葉です。

親鸞聖人は、「善人なおもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」と説かれました 。

これは、「善人でさえも往生できるのだから、悪人であればなおさら往生できる」という意味です。

しかし、この言葉が世間では、「悪いことをした方が救われやすい」「悪いことをしても良い」というように、ねじ曲がって解釈されることがありました 。

これを、唯円は「本願ぼこり」と強く批判しています 。

親鸞聖人が悪人正機を説かれた真意は、私たち人間は、どのような修行をしても、煩悩を抱え、生きることに苦しみ、罪を犯してしまう存在である、という深い人間観に基づいています 。

阿弥陀さまは、そんなどうしようもない私たちをこそ救いたいと願われたのです。

私たちは、自分自身の弱さや愚かさを認め、阿弥陀さまにすべてを委ねるしかない、ということに気づくことこそが大切なのです 。

「わざと悪行を成すことはすべきではないし、そもそも身にそぐわない悪なんて、できるものでもない。」

親鸞聖人はそう仰っています 。善も悪も、自分の意志だけではなく、様々な因縁によって引き起こされるもの。

私たちは、自分もまた悪を犯す可能性のある存在であるという自覚を持つことが、他力本願の教えを正しく理解する上で重要なのです。

2. 信心の「浅い・深い」論争

唯円が歎いたもう一つの異義は、信心に「浅い・深い」がある、という考え方です。

当時、お念仏を大切にする人々の間でも、「この者は私の弟子だ」「あの者は、彼の弟子だ」という言い争いがあったようです。

また、「自分は信心が深い」「あの人は信心が浅い」といった優劣をつけるような考え方もあったのでしょう。

しかし、親鸞聖人は「自分には弟子など一人もいない」と断言されています。

なぜなら、念仏は私たちの力で称えるものではなく、阿弥陀さまの力によって口から発せられるものだからです。

信心は、阿弥陀さまからの「いただきもの」です。

私たち自身の努力や行いによって生じるものではありません。

まるで、山頂から流れ落ちる川の水が、どんな器に注がれても、どんな人が飲んでも、その本質が変わらないように、阿弥陀さまからいただく信心にも、浅いも深いも、優劣もありません。

信心は、阿弥陀さまの慈悲に出会った時に自然と生まれる感謝の気持ちなのです。このことに気づけば、他人と信心の深さを比較したり、優劣をつけたりすることなど、意味がないことが分かります。

3. お念仏の「数」と「効果」

お念仏の「数」と「効果」を結びつける考え方も、唯円が批判した異義の一つです。

「たった一度の念仏で、これまでに犯してきた重い罪も消える」
「十回念仏を称えれば、さらに大きな罪も消えて浄土への道が開かれる」

といった考え方があったようです。

これは、念仏を唱える回数によって、得られる功徳や往生できるかどうかが決まるという、まるで現世利益(げんぜりやく)を求めるような考え方です。

現世利益とは?

神仏を信仰することで、現世(現在)において得られる利益のこと。
浄土真宗では求められない。

しかし、親鸞聖人は、「一生のあいだに称える念仏は、阿弥陀仏のご恩に対する感謝の気持ちでいただくものだ」と説かれました。

念仏は、罪を消すための手段でも、往生するための「修行」でもありません。

阿弥陀さまの限りない慈悲に触れ、その “ありがたさ” から自然と口からこぼれ出てくるもの。

親鸞聖人の説かれる念仏は、自分の意思や努力によって生じるものではなく、阿弥陀さまの大いなる力によって引き起こされるものになります。

つまり、「他力の念仏」なのです。

回数を重ねることで功徳が増すという考え方は、自分の力で何かを成し遂げようとする「自力」の考え方であり、他力本願の教えとは相容れません。

「歎異」に込められた親鸞聖人の真意

唯円が『歎異抄』で「歎異」という言葉を用いたのは、単に誤った解釈を批判するためだけではありませんでした。

その奥には、親鸞聖人が真に伝えようとされた、深遠なメッセージが込められています。

それは、阿弥陀さまの慈悲は、私たちの想像をはるかに超えた、絶対的なものであるということです。

私たち人間は、どうしても自分の尺度や考え方で物事を判断しがちです。善悪を区別し、優劣をつけ、見返りを求め、自分の力で何とかしようとします。

しかし、阿弥陀さまの慈悲は、そのような人間の分別や都合を一切超えたところにあるのです。

善人であろうと、悪人であろうと、賢かろうと、愚かであろうと、どんな私たちであっても、阿弥陀さまは分け隔てなく救いとろうと願われているのです。

『歎異抄』第十七条では、浄土に「化身土(けしんど)」と「真仏土(しんぶつど)」という二種類があることが説かれています。

化身土は、本当の信心を得られなかった人が一時的に導かれる仮の浄土、真仏土は、他力の信心を得た人が往生する本物の浄土です。

一見すると、平等ではないように感じるかもしれません。

しかし、これは阿弥陀さまの慈悲の深さを示すものです。

たとえ信心が揺らいだり、疑いを持ったりする私たちであっても、決して見捨てずに、最終的には真の救いへと導こうとされているのです。

この「歎異」という言葉を通して、唯円は、親鸞聖人がどれほど、私たち凡夫のありのままの姿を深く見つめ、その上に阿弥陀さまの絶対的な慈悲を説かれたのかを、後世に伝えようとしたのです。

『歎異抄』が現代に問いかけるもの

『歎異抄』に込められた「歎異」の精神は、八百年以上の時を超えて、現代を生きる私たちにも深く問いかけます。

現代社会は、情報過多の時代です。

SNSを通じて、様々な情報や意見が飛び交い、何が正しくて何が間違っているのか、見極めることが難しいと感じることも少なくありません。

私たちは、無意識のうちに他人の意見に流されたり、表面的な情報だけで物事を判断してしまったりすることがあります。

しかし、『歎異抄』は、私たちに「本当に大切なこととは何か?」「何を信じ、どう生きるべきか?」という根源的な問いを投げかけています。

1. 自分の「常識」を疑うこと

唯円が歎いた「異義」の多くは、当時の人々が「正しい」と信じていた常識や、既存の仏教の枠組みにとらわれた考え方から生まれていました。

現代社会においても、私たちは様々な「常識」や「当たり前」の中で生きています。

しかし、本当にその「常識」は正しいのでしょうか?

『歎異抄』は、自分の「常識」や「思い込み」を疑い、物事の本質を深く見つめることの大切さを教えてくれます。

特に宗教や信仰においては、自分の都合の良いように解釈したり、表面的な部分だけを捉えたりしないよう、常に謙虚な姿勢で学ぶことが求められます。

2. 多様性を認め、争いを避けること

『歎異抄』第十二条では、当時の浄土真宗の教えに対する批判や、他宗派との論争があったことが記されています 。

しかし、親鸞聖人は「争いを避けること」の重要性を説かれました 。

念仏を信じる者もいれば、批判する者もいるだろう。
我々は、そのことを受け入れたうえで、一心に念仏を信じて生きていくと決めたのだ。

これは、多様な価値観が存在する現代社会において、私たちに大きな示唆を与えてくれます。

自分の意見が正しいと主張するだけでなく、相手の意見にも耳を傾け、異なる価値観を尊重する姿勢が大切です。

争いは何も生み出しません。感情的な対立ではなく、対話を通じて互いを理解し、共生していく道を探ることが、平和な社会を築く上で不可欠なのです。

3. ありのままの自分を受け入れること

親鸞聖人の教えは、私たち人間が決して完璧な存在ではないことを前提としています。

煩悩を抱え、過ちを犯してしまう「凡夫(ぼんぶ)」である私たちを、阿弥陀さまは丸ごと救いとってくださるのです 。

この教えは、現代社会で自己肯定感を持つことが難しいと感じている人々にとって、大きな救いとなるでしょう。

私たちは、常に「もっと頑張らなければ」「もっと良い人間にならなければ」というプレッシャーの中で生きています。

しかし、『歎異抄』は、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージを届けてくれます。

自分の弱さや至らなさを受け入れ、完璧でない自分を許すこと。

そして、その上で阿弥陀さまの大いなる慈悲に身をゆだねる。
これこそが、他力本願の教えが現代に投げかける、最も温かいメッセージではないでしょうか。

まとめ

『歎異抄』のタイトルに含まれる「歎異」という言葉は、唯円が親鸞聖人の教えが誤って伝えられていることに深く歎き、その真意を後世に伝えようとした切なる願いが込められています。

親鸞聖人の教えの本質は、「他力本願」という阿弥陀さまの絶対的な慈悲にあります。

自分の力では救われない私たち凡夫を、阿弥陀さまは一切の条件なく救いとってくださるのです。

唯円は、この教えが「悪人正機」の誤解や、信心の深浅、念仏の回数といった様々な「異義」によって歪められることを強く批判しました。

しかし、その批判の根底には、阿弥陀さまの分け隔てない慈悲を、ただひたすらに伝えたいという熱い思いがあったのです。

『歎異抄』は、私たちに、自分の「常識」を疑い、多様性を認め、そして何よりも「ありのままの自分」を受け入れることの大切さを教えてくれます。

現代社会に生きる私たちにとって、『歎異抄』の教えは、心の平安と、他者との共生を考える上で、かけがえのない智慧を与えてくれることでしょう。

ぜひ一度、『歎異抄』を手に取り、その言葉に触れてみてください。

きっと、あなたの心にも、親鸞聖人の温かい教えが届くはずです。

さいごまでお読みいただき、ありがとうございました。

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